第T章 プーとの出会い
「プー」(1991年6月うまれ男の子)がウチにやってきたのは、1991年12月のこと
知人の家を転々とし、落ち着ける家に恵まれず
しかしながら、いろいろなヒトとの出会いは豊富
そのため、ウチに来た時はとても人懐っこくカワイイ仔というイメージ
しかし、のちに今までの生活の中で備わった歪んだ部分も見えてきます
それは、幼少期の子供との生活
すべての子供たちにあてはまるワケではないですが、どうしても大人と違い加減した接し方ができず
強くたたいてしまったり尻尾を持ち、引っ張ったり
ようするに、おもちゃやぬいぐるみのように接してしまい
それが「プー」の歪んだ部分として、のちに自分たちとの生活の中にも見えてくることとなります
当時、私達は借家での生活をしていたため犬を飼うことはダメ
しかし、知人宅を転々としている「プー」は、間違った接し方をされ続けたため
「子供に対する恐怖心」が備わってしまい、わが身を守るための「攻撃行動」を憶え
それが原因で誰も引き取ることができず、住む場所も無くなる状態
もともと私が幼少の頃は
当時のブームだったらしく、熱帯魚の飼育を母が趣味としていて
10個ほどの水槽にさまざまな種類の熱帯魚を飼育、繁殖
さらに、その知識を生かしミドリガメ(アカミミガメ)を育て
当時(昭和50年頃)家庭飼育しているミドリガメでは珍しい大きさとして新聞に掲載され
北海道札幌市の円山(まるやま)動物園の園長も見に来ました
その後、やはりブームだったと思われるセキセイインコを購入
赤目・オパーリン・ハルクイーンなど、当時の高級セキセイインコばかり集め
飼育、繁殖もしていました
ある日、セキセイインコが産んだ卵を見たくてコッソリ巣箱を開け
母親に「そんなことしたらお母さんインコが卵食べちゃうんだよ」とスゴク怒られ
なぜならば、危険を感じた親鳥がする行動と教えられ
怒られたことよりも「食べちゃったらどうしよう」ということを考えると
とても悲しく泣いた覚えがあります
さらに、コザクラインコや九官鳥
そして外には「ポコ」という名の雑種の犬がいました
この頃(昭和50年前後)いろいろな道端に「犬のポスト」というものが設置されていて
そのポストには飼えなくなった犬たちが入れられていて
通っていた学校へ行く途中ポストを見て犬が入っていると
「帰りまで待っててくれますように…」と願い
帰り道、ポストを覗き犬がいると嬉しく連れて帰りました
でも、連れ帰ると親に怒られ「今日だけいい?」とお願いし
翌朝学校へ行くときには「犬のポスト」に連れ戻し、悲しい思いをしたことも多々あります
そして妻は、親と同居中に親戚の方から売ってもらった「シーズー」と暮らしていました
妻の母親の兄妹は、シーズーを飼っていて時々赤ちゃんを産ませていました
職業にしているワケではないですが、いわゆるブリーダーです
そこで、おばにあたる母親の妹さんから
顔の模様がないマルチーズのように真っ白なお顔のシーズーを安価で譲ってもらい
「チャオ」と名づけ一緒に暮らしていました
しかし自分と一緒になるときは、アパートでの借家住まいだったため
仕方なく妻の実家でそのまま飼ってもらうようにお願いし、お別れをすることになったのです
互いに実家にいるころから、動物や犬と接していたこともあり
「プー」のことは、絶対に放置しておけない気持ちになり
また、妻が実家に置いてきた「チャオ」との別れを考えると
「プーはウチにくることになっていた」と自分で思い込み
その話を聞いた私たちは、借家住まいでしたがウチに連れてくることにしました

1992年ある日のプー
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